父の死
6月4日 晴 採血
4時に目が覚める 外はまだ暗いですが 眠ろうと思っても眠れません。
私は灯りをつけて本を読み始めました。 暫らく過ぎると病棟詰所にある電話が鳴り響いた・・・時間は5時頃
これは親父が亡くなった知らせだと思ったんです。
電話に出ると 看護婦さんがお父さんが3時30分に息を引き取ったと連絡があったとのこと・・・
7時30分に先生に連絡をしていただくと 先生から外出の許可が出ました。 私は洗濯をして風呂に入りました。
8時30分に病棟責任者の渡辺さんが来て 私に外出はできないと言われました。
法定伝染病の患者が隔離されているのに外出をしたら 隔離の意味がないと言うのです。
私はなんで 菌なんていないのに 最後の別れができないなんて なんと無情なこと 退院は10日後 あと10日生きていて欲しかった・・・そう思うと涙があふれ出る
9時から12時の間に 先生と渡辺さんが保健所と掛け合って 話してくださり 条件付で許可が出ました。 条件は病棟専用車に看護婦の付き添いで 1時間だけという条件です。
この配慮にはありがたく思い感謝の気持ちでした。
<a href="http://masamikatou.up.seesaa.net/image/0461.jpg" target="_blank"><img src="http://masamikatou.up.seesaa.net/image/0461-thumbnail2.jpg" alt="0461.jpg" width="150" height="99" border="0" /></a>
親父が何歳になろうとも 私にとってはかけがえのない親父です。 最後の別れは悲しい 私が入院中にこの世を去るなんて 葬儀にも出ることができないなんて・・・
午後4時45分 専用車の運転手 看護婦さんの案内で車に乗りました。 久し振りに外の景色を眺めながら 陶まで25分 瑞浪の国道を走っている時 テナント募集という看板が目に入った このときはただの景色の一部でしたが この記憶が後に自分の人生を変えた瞬間でした。
5時10分に親父の家に着きました。 親父の遺体の前に行く 私は手を合わせ 白い布を取りました。
そこには小さくなった親父の顔があり なんと目を開けているのではありませんか。
目がじっと私を見て 待っていたぞと言っているようでした。
私は言葉が出ません 私がこんな病気になってしまい申し訳ないと呟くのが精一杯でした。
午後6時約束の1時間になろうとしている みんなによろしくと言って 車に乗りました。
私は心底良かったと思い 皆さんの心使いにありがたく思いました。
夜7時 通夜が始まり 多くの知人 親戚がお悔やみに来てくれているだろう 家内も私がいないから気苦労をするのではないだろうか。
法という 破れぬ壁の この厚さ
融通の きかぬ決まりに いらいらと
無菌だと 分かっていても 決まりだと


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