父の葬儀
6月5日 6時30分に起きる 晴 検便
昨日は父との別れができて 久し振りに夢も見ないで熟睡ができました。
11時に家内と 長女 次女 次女の彼氏が面会に来る 昨夜の通夜は大勢の人が来てくれたとか 葬儀は今日が友引だから 6日に行われると言うのです。
今日が友引で良かったと思いました。
こうして面会に来ることができて 次女とは5月13日以来 あの時には声が出なくて 話ができませんでしたので 久し振りの会話ができました。
葬儀は宝昌寺で 11時から行われるそうです。
午後5時 般若心経の意味を学ぶ 全知全能者から見れば 人間は肉体も 感情も概念の意思活動も 知識もその存在は皆空なり つまり実体がないのだ 産まれることも 増えることも 滅びることも 汚れることも もともと実体がないものだから 我を張る必要もないし 死を恐れることもない もともと空の立場においては 物理的現象もなく 表象も知識というものもない 本来なら何にもないけれど こうしてあるということは 全てが自分の力でなく 多くの力によって生かされているということ もともと自分のものなんて何にもないのです。
だから悟りもなく 迷いもなく 悟るがなくなることも 迷いがなくなることもない
老いも死もない 老いとか死がなくなることもない 苦しみも苦しみの原因 苦しみを制することも 苦しみを制する道もない 知ることもなく得ることもない
人間は12の因縁があって それが因果関係で決まる 産まれて死ぬまで 過去 現在 未来の時間 空間の流れのなかに12の因縁のために 人は苦しみ 不幸にもなる
これらの因縁があるから煩悩があり 煩悩があるからこそ悟りがある シャーリープトラよ 人間なんてもともと無いものだから 我を張るとか 苦しむとか 悩みなどで 迷わなくてもいいだよ 大いなる知識を持って悟りなさい 目覚めなさい 成仏するということは もう一人の自分に目覚めること つまりこういうことを悟りなさいということの教えだとか
分かったような 分からないような ようするにもともと無なのだから 雑念に捉われるなということではないのかな?
6月6日 4時40分に起きる 晴 採血
今日の親父の葬儀は天気が良さそうだ 84年間の親父の生涯は 山あり 谷あり大変であったと思います。
教育も今でいう小学生まで その時の流に合わせて 無から有を生み ミカドという店舗を手に入れた もともと小心者の親父にとっては 物凄く大きなことを成し遂げたと思っていたであろう・・・・
それが人間を変え 思うようにならない自分に負けて 精神を傷つけ 荒れ狂う態度 心の病に落ち 精神病棟での隔離 最後の人生は不憫であった。
午前8時 出棺の時刻 般若心経を3回唱える
8時30分 今頃火葬の時刻 さようなら 成仏してくれ
11時葬儀 会葬には誰が来てくれているのか
午後2時30分 食事が終る頃だ
陶という街の中だけで住んでいると 自分の考え 視野が狭いと思う
午後5時 家内を除いて家族のみんなが来て葬儀の報告をしてくれました。 大勢の会葬者だったようです。
5時30分に自宅に電話して 家内に礼を言う
午後8時 今夜の看護婦さんは おもしろい なかなかの美人だし 自己紹介をしたのは初めてだ 考えも知識もなかなかのもの 心理学 心経までなんでも知っているのです。
私が話しに乗せられてしまったようだ 楽しい時間が過ごすことができました。


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