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2008年10月

2008年10月26日 (日)

能力開発から独立への準備

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9月6日
器具賞との打ち合わせ 広告の打ち合わせ 看板屋との打ち合わせ 
記念品 家具などの準備にかかる

9月9日には 経費の計算ばかりで 売上げは未知数 
果たしてやっていけるのかという不安がよぎる 退院して
まだ3ケ月にも満たないのに 計画 実行が順調にきたため 
これでいいのだろうかと ややノイローゼ症状

9月23日
理容椅子 サインポール 鏡が取り付けられ店らしくなってきた

9月29日
勤めの最後の日となり 兄夫婦と 母から送別会をしてもらいました。

10月1日
保健所に開設届け

10月9日
いよいよ明日開店です。
もう心配だと言っておられません。 
神は私の見方です 神は私にアドバイスをしてくれます 私は成功します。

10月10日 体育の日
いよいよ開店 気持ちが引き締まる
家内には速攻でシャンプー マッサージを教えていました。

朝からお客さんに来て頂き 忙しい一日でした。 
仕事が終ってレジを開けた時 自分の店なのだと 感慨に浸りました。

3月下旬から6ケ月半の人生のドラマは これで一幕の終わり

明日からは新たな人生の始まりです。 

人生最大の危機が 人生最大のチャンス この時の半年間は
ピンチをチャンスに変えた 大きな転換期でした。

あれから17年6ケ月が過ぎてしまいました。
テナントに理容店を開店して 家内と二人で頑張ってきたお陰で
 13年3月に瑞浪の地に自宅と店舗を新築して 三女と一緒に頑張っています。

私のドラマなんて チッポケなものでしょう 有名人でもない 
大金持ちでもない そんな私ですが 私にとっては 私が主人公で私なりの
人生ドラマがあります。

平成3年10月10日に開店をして 男性カツラの広告 宣伝に取り組み
 理容の仕事の一環としてやってきましたから テナント料が値上げされ 
毎月13万6千円という高額にもかかわらずにやってくることもできました。
あの頃は時代も良かった バブル期で 客数も多く 土日は予約で一杯でした。

料金も今より安かったのですが それでも今とは比べものにならない
売上げをしていました。 

開店して2年目 3年目で大台の売上げが続き 老後のために個人年金

小規模共済などを掛けてきましたから 65歳を過ぎてそれらを受給するようになり 

お金の面では困るようなことはありません。

17年前に能力開発に取り組んで その中でミクロコスマ つまり30年後の
自分を描いて 一つ一つ目標 計画をメモするカレンダーを作ること 
例えば何年後に自分の店舗 家を建てる 車は何にする
 65歳になったら幾らの預金を貯める 65歳になったら年金で
幾ら受給すればいいか これらの目標設定をしてきました。

17年前に目標としていたのは こんなのをメモしていました。
・ 三女は理容師になる
・ 次女の結婚式を挙げる
・ 私はお金に困らない
・ 借入金はみるみるうちに減っていく
・ 私は思い通りの生活が出来る
・ パソコンを買う
・ これらは必ず達成する 

今になってみれば 目標は全部達成しました。 
パソコンに関しては 10年近く前から購入して 私の年代の者から見れば
はるかに高度な扱いが出来ていると思っています。

能力開発のお陰で 脳の働きも良くなっているのではないでしょうか。

平成13年3月に現在の場所に自宅兼店舗を新築 現在の場所に
普通ならとても土地を購入して自宅兼店舗なんて建てられません。

これも願望 目標の明確化で 陶町にあった自宅が立ち退きという事態になり 
私にとっては第2のチャンス 9年半は自宅から店まで20分の通い 
店舗と自宅が離れていると不便 不都合な事が多くて 店舗と自宅が
一緒というのは願望でした。

それから7年半になります。 三女も理容師になり 結婚して 私の家の隣に
同時に新築 今は孫の顔を毎日見ることが出来て とても幸せな
毎日をおくっています。

幸せなんて お金持ちでなくてもいい 欲しい物が買えて 行きたい所に行け 
食べたいものが食べることができれば あとは困らないだけの貯えさえあれば
 これが本当の豊かな生活であると思います。

65歳になっても仕事は現役 カツラの注文もありますから 
同業者の中では良い方だと思っています。

今の世の中 低賃金 雇用の悪化 安売り競争 景気減退 
理容業界も安床の乱立で 売上げの減少に嘆いておりますが 
私は努力してきたお陰でいい生活をさせていただいております。

車はワゴン車8人乗りで 孫 娘達を乗せて出かけています。
パソコン暦は10年近くなりますが ネットショップの立ち上げ ホームページの
作製 管理 還暦旅行 クジライ会のアルバム作製 
岡の同年であるふーさんとの言葉の珍道中も公開しています。

ネット検索 
気になる髪の情報提供サロンのミカド整髪 
美濃のまーやんと 駿府のふーさんのイケイケ珍道中

パソコンが出来るなんて当たり前の時代で パソコンの
自慢をしてもしょうがないですが 65歳という年齢を考えれば
よくやってきたと思っています。

2008年10月25日 (土)

独立に向けての準備

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7月17日
私の考えの中ではっきりと自分の店のイメージが浮かんできました。 
設計 自己資金 売上目標 経費の計算 借入金 テナントの申込みなど

7月18日
サイコフィードバック装置を購入してから1ケ月近くになります。 
アウトゲニックフィードバックメディテーションのテープを一通り聴きました。

借入金800万円 自己資金300万円 テナント権利金120万円 
器具400万円 設備500万円 やはり描いていたテナントに決めよう

7月21日
親父の49日の法要
これで脱皮だ

7月22日
○○住建に テナント申込みに行く
テナント料1ケ月 12万円

願望実現のプロセス
・ ヴァーチャル思考
・ 願望の実現
・ 願望 目標を設定
・ 目標必達チャート 細分化
・ アルファ波支配
・ 脳波ホルモンのコントロール
・ シネマティックスにより大脳の成功回路を組み込め

7月23日
出来るという思考が行動を支配する時は そこに信念 確信が生まれる

願望とか目標を紙に書く 整理をしていく 必ず成功する成功イメージで 
目標達成までのプログラムを作る

7月29日
○○住建に見積もりを聞きに行く 

8月5日
見積もりを見る

8月7日
敷金 礼金120万円支払う 工事契約を行う

8月8日
シャンプーユニット 椅子 ケース注文

8月13日
親父の初盆
○ ○住建に工事代金 230万円支払う

8月17日
お客さんの話の中で 私が新しく店を出すと言いましたら そのお客さんの
名古屋の知り合いの人が やはり大病をして 無意識のうちにこういう商売を
しなさいという啓示があって それから商売を始めて成功して 
自費出版で本を出したそうです。

私も体験記を本にしたいと思っていました。

8月18日
私は母と家内を連れて 今までの労をねぎらいに 鮎を食べにヤナ場に行きました。

8月23日
母は私に対して おまえは人生でだいぶ損をしてきたな 
自分の人生を犠牲にして 今の兄の店に貢献してきた 
兄の息子が大きくなって いつでも跡継ぎが帰って来るようになって 
お前は出て行かなくてはならない 兄は努力もしないで安定した道がある 
不憫だなと言う・・・・しかし私は決断する事が出来て良かったと言いました。

義姉には私が居た年月は 兄が親父の子でないことで 私に対して跡継ぎを
取られてしまうと思っていた時期がありました。 私の家内に対しての
態度 言動は嫉妬心で煮えくり返っていたと思います。

私が入院をして 決断をして出て行くことはお互いにいいことだと思いました。
但し まったく未知の土地で 新しいお客さん得る事は そんなに易しいことではない

家内も25年前には 理容学校に行っていたのに 親父の思いつきで喫茶店を造り
やり手がないため 中途で学校を辞め 喫茶店をやってきた。 

3年後に弟が帰ってきて喫茶店を追われた 陶器の絵付け工場に9
年間働いていましたが 突然の方向転換 申し訳なく思っています。
よくついてきてくれたと思っています。


*薬剤による脱毛*

2008年10月24日 (金)

能力開発に挑戦

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6月13日
隔離病棟からの開放 久し振りの我が家での睡眠 3ケ月近くの入院での体験は
長く感じられたけど これで終ったと思うのと いよいよ始まりだという気持ちで 
切り替えのできる出来事でもありました。

普通の状態でしたら おそらく能力開発に取り組もうなんて思わなかったでしょう。

強い想いが行動に走らせていきました。

改めて 願望を実現するという本を読んで見て SSI能力活性研究所の
V2システムというものに興味がありましたから 電話をして資料の請求をしました。

家内は仕事に出かけていましたから 相談もしないで行動にうつしてしまいました。 
多分相談をしていれば 反対されることは分かっています。

私のように能力開発 人間の心理 哲学 因果などに深く興味を持つ人は
余りいないのではないでしょうか? 

今から振り返ってみれば 強い想いが システムの購入 テナントでの独立 
瑞浪での新築(店舗兼自宅)など実現できたと思っています。

このシステムは脳波をアルファ波にして 願望をインプットしていくというシステム
 脳波がアルファ波になっているかを確認できる装置です。 

バイオフィードバック装置というのですが 一度体験したいと思っていましたから 体験するなら休んでいる
今のうちにと思い資料を請求しました。

6月15日
資料が届く 資料を見て驚いたのは あまりにも高額で 迷いが生じましたが
 ここで躊躇っていては次の段階にいけないと思い決断しました。

6月17日
一番高額なシステムを注文 車が一台買える金額 病院でお金のロスをして
いるのに 家内に相談すれば反対されるのは分かっておりますから 
内緒で注文しました。

6月21日
システム一式が届きました。 システムの原理は簡単なもの 私は自己催眠が
できますから 100本以上あるカセットテープを聴くときに センサーを
耳たぶと頭に付けて テープを聴いていると段々と アルファ波が出てくる 
出てきた状態が分かるように色と音で知らせてくれる これだけの装置 
これが高いか安いかは 価値の問題で評価は難しいです。

私はこれを毎日続けました。 

7月3日仕事に出かけました。 その日は忙しくて足が痛くなりましたが 
仕事ができたという喜びの方が大きい

私の脳裏には独立という意識が大半を占めるようになる 
資金もない 採算も分からない どのように計画を進めていこうか考えました。

7月11日
システムに取り組んで20日が過ぎました。 私は以前から自立訓練法を
やっていましたから 催眠状態になるのは難しくありません。 

アルファ波というのは 一種の催眠状態に近い脳波だと思います。


 当店は調髪だけでなく、カツラ・育毛・レディースシェービング・
エステなどお客様に幅広く提供している ヘアーサロンです。

  業務用品、化粧品等、他ではなかなか買えない商品も
サイト上で販売しています。

2008年10月23日 (木)

隔離病棟から退院

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6月11日 6時45分に起きる 晴

残り一日 明日は退院です。 明日からは後を振り向かないで前進のみ
親父も亡くなったし もう親父の幻影に縛られることもない 思えばクジライから
引き戻され 今の働いている店を設計したのも 喫茶店を家内にやらせたのも 
みんな親父の意向に沿ってやった しかしどんなに頑張っても
私は跡継ぎにはなれない しかし25年近く自分なり頑張ってきました。

私は独立すると 宣言をする

しかし独立をする前に やっておきたい事がある それは能力開発のシステムを
体験したい 本は知識としては学べるけれど 心の中というよりも脳の中に
インプットさせる バイオフイードバック装置を購入して 潜在意識の中に
自分のやりたい事を植えつける 

私は自分の店舗というイメージを描いてみた どうせやるなら陶では駄目だ 
瑞浪の市街に出ようと思う 瑞浪で土地と住まいと店舗を作ることは 
今の自分ではできない

テナントからの出発をするになる

私は店舗の設計を頭の中に描いた それがイメージの中に国道沿いの
2階が浮かんできてしまう これは何処にあるのだろう

3月の下旬から今日まで 随分と長かったけれど 過ぎてみれば早い

多くの人が見舞いに来てくれました。 みんなに心配をかけました。
全快祝いは今度は慎重に選ばなくてはいけません。
前の時に水羊羹を買い込んで それから腸チフスと言われ処分した苦い経験がある

部屋の中をきれいに整理する 部屋といっても病室ですから簡単でしたけど

明日はいよいよ退院だ

6月12日 5時40分に起きる 晴
待ち望んでいた日がきました。
入院の間に随分といろいろなことがありました。

次女の家出から始まり 高熱のために意識がなくなり 未知の世界での体験 
次女との出会い 病名不明 法定伝染病 隔離病棟 運命の悪戯にしては 
生きていて良かった 病名が分からずに命を落としていたら 
それこそ大問題になっていた・・・

私は臨死体験 四次元の世界 超能力 催眠など興味があったものが そ
れに近い体験で改めて理解をする事ができました。

心の中で想うことが物を創り 生活を作り 物の社会を創造していく 
毎日の思い込み 呟きが 一つの暗示となって 観念となり 
それが強く働く方に豊かにもなれるし 貧しくにもなる 

今の私にとっては独立するという思い込みが大事であって 独立するまでの
詳細を細かく ヴァーチャルしていく ヴァーチャル思考というのは仮想 
あたかも現実のように仮想をしていくと それがやがては本当に
現実のものになるそうです。

先生から退院の許可をいただき 家内に電話をかけました。
私は風呂に入り身体を洗い 退院の時にはもう一つ別の風呂に入って 
病院の外に出ました。

家内が向かいに来て 病棟責任者の渡辺さんに見送られ 隔離病棟を後にしました。

帰りの車の中で 外を眺めながら走っていると 瑞浪の19号バイバスに
テナント募集という看板が目に飛び込んできた アツ これだ 
ここが仮想で設計していた店舗だと思ったのです。 それは2階にあり 一致している

しかしその時は そこに店舗を出すとは思ってもいませんでした。

久し振りの我が家 これで一件落着なんだけど 私にとっては始まりでもあります。

2008年10月22日 (水)

決意

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6月10日 5時45分に起きる 曇りのち雨
この日は これからの目標 テーマなどを書き込みました。

幸福も健康も仕事も全て心の問題だ
仕事に対しては研鑽して いい仕事をする
ゴルフで90をきる
これからはカツラの普及に頑張る
お金は必要な時に 必要なだけあればいい
お金は追いかけるものでなく ついてくるようになれ
人間信用が第一 時間 金銭 約束事
連絡報告は正確に

11時 回診 何も見てくれるわけではありません。 

12日退院は間違いなしと言われ 
退院の準備は済ましてあると言うと 先生は笑っておられました。

私がこの病棟に入院してからこの日までに この病棟だけで50人の看護婦さんと 
一日平均1時間は話をしてきました。県病院に何人の看護婦さんがいるかは
分かりませんが 内科 外科 脳外科 産婦人科 精神病棟 結核病棟とさまざまです。

平均年齢は23歳ぐらい ちょうど娘の年代 退院をしたら身近でこんなに若い女性と話し合うことはないだろう

午後2時 兄が病棟に来ました。 葬式の事 仕事のことで大変だったみたい 
随分と迷惑をかけたなと 済まないという気持ちです。

兄が帰ると 私は物想いを句にする

もの想い 知らず知らずに 振り返り  
      川音は 聞こえてくるが 水見えぬ
            もうすぐだ 言われる前に 出る支度

書くことと 本とテレビが 時回す
      親切は 売ってはならぬ 思いやれ
            思いやる 心無くして 哀れむな

済んだこと 後で言っても なるじゃなし
      苦しみて 人の気持ちが 分かりけり 
           反省と 言ってはみても 変わるかな

堤防を 歩く姿が 羨まし
     外のこと 知らず知らずに 早三月

2008年10月21日 (火)

誕生日

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6月7日 5時に起きる 晴 検便
親父の葬儀も済み あとは自分のこれからのことを真剣に考えていかなくては
なりません。

6月8日
5時に起きる 晴 採血

今日は48歳の誕生日です。 入院中に親父が亡くなり 入院中に誕生日を迎えた
 今回の入院は 苦しい思いもしたけれど 自分を見つめ直す 
いい機会になったと思っております。

この2ケ月半に看護婦さんが60人も代わる代わる接してきました。 
人が違えば考えも違う いい勉強になったと思っています。

退院をした時の心構え

自分以外の人は皆師と思え
他人を責めるな
他人からの批判は肥やしにせよ
他人の意見に感謝の気持ちを持て
学ぶことは知識としてではなく 知恵にせよ そして活かすこと
自分で定年を作るな
毎日感謝の気持ちで過ごせ
天地 宇宙のことは自分の内にあると自覚せよ
新しい自分を目指して 前進せよ

想いは行動となり 行動は習慣を生み 習慣は品性をつくる 品性は運命をかたどる

言葉の力は大きい 自分の運命を左右するのも  良くする 悪くするのも 
自分の責任 人は神の子 自分の内には無限の可能性を含有している 
良い思念 良い言葉 良い態度 人生の再出発だ

6月9日 5時に起きる 晴
退院の日迄 あと4日 昨夜の看護婦さんは 看護の仕事をしていても 考え方がみな違っていると思った

その人は 生まれつき胃腸が弱く治らないと言うのです。 私は自分で弱いとか
悪いと決め付けていては治るものも治らなくなるのではないですか? 
あまりにも胃腸のことを意識しすぎではないか 顔を見れば神経質そうで 
私に食事をどれだけ食べたかを細かく聞くので 今の私の病気に食べた量なんて
あまり関係ないのではないかと言いました。

もっと大らかにになって とにかく笑う 笑顔になること そうすれば胃腸なんて
治ってしまうのではありませんか。
こちらが意見を言ってしまいました。

私はこの病気になって脳の中が変わってしまったかのように集中力が凄いし 
難しいことが難しく思えない 四次元とか 神 宗教などに興味が湧く

今の普通の生活は三次元の世界 三次元というのは線と面と高さで 
全てのものがこの三次は空間の中で存在します。

四次元とは時間と空間のない世界 コンピュータなんかは四次元の世界に
近いのではないせしょうか?

全ての物質の元素は素粒子であり 宇宙空間を駆け巡っているのです。

予知 テレパシー 夢なんかも時間も 空間もない 目が見えなくても見えるのが夢 
占いなんかも予知する働きの強い人は 先が見えるという この働きが強いのが動物 
地震 大雨 洪水 台風など予知する働きを持っています。

臨死状態になった時も 脳の働きは一瞬のうちに過去のことを蘇るようにさせる

人間の身体は魂の仮の宿 本当に魂が休まるのは 精神の純粋さと自然を
受け入れる広い心にあります。

神とは 万物を生む原動力-人体と一体化 宇宙の中心の一点にある 
そのゼロ点に向かって人間が近づき 心眼を開いて心理に到達すれば 
神と一体化することになります。

すなわち一切のものの中心基点であるから 政治 化学 宗教など何であろうと
すべてに通じるのです。

つまり世の中の組織も どんな組織でも 例えれば身体の仕組みも理路整然とした
宇宙の法則の中で成り立っています。

考えていると次から次と考えが浮かんできます。
考え過ぎから少し疲れてきましたので 12時30分に一旦 外の空気を吸いに外に出ました。
鳩が3羽 私に近づいてきた 豆菓子をやると 羽をバタバタさせて手元に来ました。

我一人  鳩と戯れ 忘れさる

午後12時30分に家内が面会に来ました。 昨日の念仏で嫌なことがあったみたいだ
 人間の嫉妬心が 人間関係をおかしくするのです。

2008年10月19日 (日)

父の葬儀

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6月5日 6時30分に起きる 晴 検便
昨日は父との別れができて 久し振りに夢も見ないで熟睡ができました。

11時に家内と 長女 次女 次女の彼氏が面会に来る 昨夜の通夜は大勢の人が来てくれたとか 葬儀は今日が友引だから 6日に行われると言うのです。

今日が友引で良かったと思いました。
こうして面会に来ることができて 次女とは5月13日以来 あの時には声が出なくて 話ができませんでしたので 久し振りの会話ができました。

葬儀は宝昌寺で 11時から行われるそうです。

午後5時 般若心経の意味を学ぶ 全知全能者から見れば 人間は肉体も 感情も概念の意思活動も 知識もその存在は皆空なり つまり実体がないのだ  産まれることも 増えることも 滅びることも 汚れることも もともと実体がないものだから 我を張る必要もないし 死を恐れることもない もともと空の立場においては 物理的現象もなく 表象も知識というものもない 本来なら何にもないけれど こうしてあるということは 全てが自分の力でなく 多くの力によって生かされているということ もともと自分のものなんて何にもないのです。

だから悟りもなく 迷いもなく 悟るがなくなることも 迷いがなくなることもない

老いも死もない 老いとか死がなくなることもない 苦しみも苦しみの原因 苦しみを制することも 苦しみを制する道もない 知ることもなく得ることもない

人間は12の因縁があって それが因果関係で決まる 産まれて死ぬまで 過去 現在 未来の時間 空間の流れのなかに12の因縁のために 人は苦しみ 不幸にもなる 

これらの因縁があるから煩悩があり 煩悩があるからこそ悟りがある シャーリープトラよ 人間なんてもともと無いものだから 我を張るとか 苦しむとか 悩みなどで 迷わなくてもいいだよ 大いなる知識を持って悟りなさい 目覚めなさい 成仏するということは もう一人の自分に目覚めること つまりこういうことを悟りなさいということの教えだとか 

分かったような 分からないような  ようするにもともと無なのだから 雑念に捉われるなということではないのかな?

6月6日 4時40分に起きる   晴 採血
今日の親父の葬儀は天気が良さそうだ 84年間の親父の生涯は 山あり 谷あり大変であったと思います。 

教育も今でいう小学生まで その時の流に合わせて 無から有を生み ミカドという店舗を手に入れた もともと小心者の親父にとっては 物凄く大きなことを成し遂げたと思っていたであろう・・・・

それが人間を変え 思うようにならない自分に負けて 精神を傷つけ 荒れ狂う態度 心の病に落ち 精神病棟での隔離 最後の人生は不憫であった。

午前8時 出棺の時刻 般若心経を3回唱える

8時30分 今頃火葬の時刻 さようなら 成仏してくれ

11時葬儀 会葬には誰が来てくれているのか 
午後2時30分 食事が終る頃だ

陶という街の中だけで住んでいると 自分の考え 視野が狭いと思う

午後5時 家内を除いて家族のみんなが来て葬儀の報告をしてくれました。 大勢の会葬者だったようです。

5時30分に自宅に電話して 家内に礼を言う

午後8時 今夜の看護婦さんは おもしろい なかなかの美人だし 自己紹介をしたのは初めてだ 考えも知識もなかなかのもの 心理学 心経までなんでも知っているのです。

私が話しに乗せられてしまったようだ 楽しい時間が過ごすことができました。

2008年10月18日 (土)

父の死

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6月4日 晴 採血
4時に目が覚める 外はまだ暗いですが 眠ろうと思っても眠れません。
私は灯りをつけて本を読み始めました。 暫らく過ぎると病棟詰所にある電話が鳴り響いた・・・時間は5時頃 

これは親父が亡くなった知らせだと思ったんです。
電話に出ると 看護婦さんがお父さんが3時30分に息を引き取ったと連絡があったとのこと・・・

7時30分に先生に連絡をしていただくと 先生から外出の許可が出ました。 私は洗濯をして風呂に入りました。

8時30分に病棟責任者の渡辺さんが来て 私に外出はできないと言われました。

法定伝染病の患者が隔離されているのに外出をしたら 隔離の意味がないと言うのです。

私はなんで 菌なんていないのに 最後の別れができないなんて なんと無情なこと 退院は10日後 あと10日生きていて欲しかった・・・そう思うと涙があふれ出る

9時から12時の間に 先生と渡辺さんが保健所と掛け合って 話してくださり 条件付で許可が出ました。 条件は病棟専用車に看護婦の付き添いで 1時間だけという条件です。

この配慮にはありがたく思い感謝の気持ちでした。

<a href="http://masamikatou.up.seesaa.net/image/0461.jpg" target="_blank"><img src="http://masamikatou.up.seesaa.net/image/0461-thumbnail2.jpg" alt="0461.jpg" width="150" height="99" border="0" /></a>

親父が何歳になろうとも 私にとってはかけがえのない親父です。 最後の別れは悲しい 私が入院中にこの世を去るなんて 葬儀にも出ることができないなんて・・・ 

午後4時45分 専用車の運転手 看護婦さんの案内で車に乗りました。 久し振りに外の景色を眺めながら 陶まで25分 瑞浪の国道を走っている時 テナント募集という看板が目に入った このときはただの景色の一部でしたが この記憶が後に自分の人生を変えた瞬間でした。

5時10分に親父の家に着きました。 親父の遺体の前に行く 私は手を合わせ 白い布を取りました。 
そこには小さくなった親父の顔があり なんと目を開けているのではありませんか。
目がじっと私を見て 待っていたぞと言っているようでした。 

私は言葉が出ません 私がこんな病気になってしまい申し訳ないと呟くのが精一杯でした。

午後6時約束の1時間になろうとしている みんなによろしくと言って 車に乗りました。 
私は心底良かったと思い 皆さんの心使いにありがたく思いました。

夜7時 通夜が始まり 多くの知人 親戚がお悔やみに来てくれているだろう 家内も私がいないから気苦労をするのではないだろうか。

法という 破れぬ壁の この厚さ
     融通の きかぬ決まりに いらいらと 
           無菌だと 分かっていても 決まりだと

髪の相談

2008年10月16日 (木)

学ぶ機会に

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6月2日 6時に起きる 雨
親父のその後の様態はどんな状態だろうか。 

だいぶ体力も落ちて痩せてしまっているのではないか 

親父は酒が好きだった 何処へ行ってもコップ酒を飲んでいました。 

若い頃は負けず嫌いで 仕事を早くやる事を自慢していた 

親父は字を書くのが上手かったが 私には字に関しての親父のDNAはない

囲碁 麻雀 釣り 親父とよく遊んだ 親父もせっかちだった 60歳を越えてから

おかしくなった 仕事を退いてから 心が荒れて 精神病棟に入院 

その後2回も結核病棟に入院と老後は寂しい人生だった・・・

70歳を越えてからは 無口になって 意欲もなく 自分から話しかけることも

なくなっていた

多分 もう逢えないかもしれない

寂しさを 学ぶ機会と やせ我慢

   何故なんだ 泣くに泣かれぬ この辛さ

10時家内と長女 三女が面会に来ました。 外は雨が降っていたが軒下で話し合う

よく気がついて 優しい娘達に 親として嬉しく思っています。

1時30分知らず知らずのうちに眠ってしまう  2時に看護婦さんに起こされました。

検温 

2時30分に風呂に入って 髪を洗いサッパリとしました。

3時から4時まで本を読む ここにいると時間があるから いろいろな本が読めます。

世間から隔離されていると 世間の雑言を聞かなくていいから気持ちが穏やかになります。 

他人からの忠告 お節介 マイナス言葉 ちょっとした言葉の使いかたで 

人を活かしもするし 人を傷つけることもある できれば人を傷つける言葉は

言わないこと

人はそれぞれ考え方が違うから 自分の物差しで決めつけてはいけない 

お互いの気持ちを理解しあうことが大事だと思います。

6月3日
父と別れの予感を感じながら その日は 意識がない時に ヘルパーさんから 

人を救う役目を担う人だと言われたことをを思いだし 想いに捉われていて 

こんなことを考えていました。

いつもあの人は楽しそう。
何か惹きつけられる。 
あの人と会うといつも気持ちが良い。
お金に余裕がある。
あの人はいつもうまくいく・・・・

不思議ですけどそういう人っていますよね。 
逆に、努力をしているのになぜかうまくいかない。 
嫌なことが次々くる。 
体の調子が悪い。 
金まわりがよくない。
思ったように体が動かない。 

自分の気に入らない人がなぜかまわりにいつもいる。 

あの人みたいになりたいと真似してもどうも違和感があって

自分じゃないし落ち着かない。 

何がここまでの差をつくり出しているのでしょうか? 

これは、努力とはまったく関係のないところに違いがあるのです。

例えばあなたの5倍収入のある方。 
その人はあなたの5倍努力しているでしょうか? 
「そんなことはないけど・・・」知識やスキルがあるわけでもないのにカリスマのように

人を惹きつけ、物事を成功させてしまう方。

「いったいどうしたらああなれるのだろう?」

その違いって? 「世の中には不幸が不幸を呼ぶような人生があり、 

その一方で、幸運を呼び集めてしまうような人生があるのは、

何故なのか」豊かな生活を実現している人は ほぼ全員、意図的にこれを

使っていたんです。

しかも所要する時間は1日15分! たったそれだけで・・・・

それが今なお、世界で圧倒的な支持をうける潜在意識の活用法 

マーフィー博士の【幸せとお金の法則】です。 

想いをメモしていきました。

老いかけて老いかけてもなお夢をみる 老いらくの煩悩  

愛しき人と夢の中で戯れる

この世では許されぬことでも 眠りの中では誰もが許される

 夢無き人は心が寂しい

生きてる証それは愛する心 愛しいという想いに浸る時 

活力の原動力は恋する心の発露

認められ褒められたい、そのために人は生きる 男と女の本質は求める心

 愛を感じるとき人は美しさを増す

男の生きざまそれは自己の表現力  頑張ることは心地よい達成感  

階段は登るもの下がるときは去るとき

充実とはなんなのか 目標に向かって頑張る過程  喜びとは成し遂げたとき  

喜びとは満ち足りた心

晴 れた日に空を見上げると、いろx2な雲を見る・・・

何かを語りかけているように、雲は上から見るのと、

下から見るのでは違って見える・・・

雲の形で地震の シグナルがでていることもアル。

じっと眺めていると吸い込まれてしまうような神秘さを感じる。 

毎日いろx2な思いの中に・・・雲と同じような勝手に浮かんでくる想いというものがある、

現れては消え、消えたと思えば、また浮かんでくる・・・

物思いに浸ろうと意識しなくても、

何かが浮かんでくる。

心の動きと いうか・・・その些細な思いの連続が自分の行動、

人生設計を組み立てていく・・・不思議な世界なのだ

むさぼりの愛はいつか消え去る  認めあう与えあう心

 永久の愛とは求めない心の繋がり

歓楽の恋は恋とは言わない  人間だけの悲しき定め  

まじり合うよりもそこまでの想いの積み重ね

心が無ければただの物体になる  想いの過程が夢になる 

 夢を達成すれば感動は薄らいでゆく

自問自答・・・一人の自分には二人の自分がいる・・・・

前に進む自分と引き止める自分がいる、

綱引きで思いの強いほうに引っ張られる・・・

宇宙も自分の心の 働きも実に神秘な世界だ・・・

体の仕組みだってそうであるし、パソコンの世界なんて、

宇宙から見れば小さきことかも知れないけれど不思議の連続である。

自分の存在なんて微々たる物なんだけど、自分から見れば、主役であり、

切り離せない存在だ・・・

こうして物思いに浸るのも生きている証しであって、

亡くなれ ば全てが消え去り無となる。 

こうして文を書くのも生きている証し、それとも生きていた証しが欲しいためかも

知れない・・・

心の神秘・・・人の心は他人には分らないが、誰でも想いというものの中で時を

刻んでいる。

人それぞれの感性があり・・・自分だけにしか分らない部分があります。

その人を表現するのは言葉であり、文章なのです。 

言葉や文章にしないと相手に伝わらない・・・

表現の仕方一つで癒されもし、人間の心の深層が読み取れるようになる。 

感性が豊かというのは 日頃の想いの積み重ねであって、簡単に創れるものでは
ありません。

2008年10月15日 (水)

面会

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5月31日 朝5時15分に起きる 雨 体温35.5度
湯を沸かしてお茶を飲む そのうち又眠ってしまいました。
7時に看護婦さんに起こされる
朝食は全部食べました。 

今日は調子が良さそうだ ノートの整理をする

病棟責任者の渡辺さんと話し合う なかなかの物知りだなと思う

人間世話好きでもお節介になるし 物事を知りすぎると眉唾ものになる 

親切もかけ過ぎると相手に気持ちの負担をかける 私が22歳の時に

モラロジーの会員であった人から 色紙を頂いた

(吾 唯 足るを 知る)これは物事を幾ら知っていても まだx2という謙虚な気持ちで

いないといけないということだそうです。

午後6時 同級生が2名面会に来てくれた この病棟に家族以外では始めての

面会者 ガラス越しの面会は やはり刑務所が浮かんでしまう

午後9時から 当番看護婦さんといろいろな話をした・・・11時30分まで 

珍しいことです。 病院で9時過ぎに話ができたということは 普通では考えられません。

意気投合 なんのを話し合ったかは定かではありません。

多分催眠術や四次元の世界 前の病院での体験などだと思います。

今日で2ケ月 仕事を休んでいる 私のお客さんに迷惑をかけ 兄や義姉にも随分と

迷惑をかけてしまった。

明日からは衣替え ここにいると季節感は感じません。
月日の流れの速さを感じます。

6月1日 4時30分に起きる 曇り

朝早く目覚める 湯を沸かして 髪を拭き ヒゲを剃る 昨夜は看護婦さんと

遅くまで話をしていて疲れが残っています。

外を見ていると 川の向こうの道路を 時間が早いのに 多くの車が走っている 

川の水が見えないのが残念であるがこれも仕方ないことです。

堤防の上を人が歩くと 病棟内が見えるから なんか嫌な思いをします。

熱があるとか 苦しい 痛い 菌がいるという時なら病院に入っていても分かるが

 今の自分はもう病人ではなくなっているから 暇で 一日が長くて・・・ 

9時には外に出てみる 外はクレゾールの臭いがないから気持ちがいい

何回も深呼吸をしました。

午後3時に家内と 長女 三女が面会に来ました。 

私の親父も今年は越せないようです。 

私が退院をする時には これからの人生を真剣に考えないといけないと

改めて思いました。

3人が帰った後 私は物想いに浸り 今の心境を書いてみました。

こんなにも心が静かでいいのだろうか

世間の事や仕事の事など 何も気にならない

只x2 生かされていることに ありがたく思い 感謝の気持ちでいっぱいです。

自分というものは小さなものだ

自分なんかいなくても 毎日が何事もなかったかのように過ぎていく

俺がなんて思っていたことが恥ずかしい我を取り 欲を取り去れば気持ちは楽だと思う

私には明日がある 夢があり 希望が湧いてくる

今まで眠っていたものを呼び起せ

なんのために 今まで努力して 学んできたのか

社会の人が望んでいる事を提供しよう

能力なんて磨けば磨くほど光ってくる

才能なんて誰にでもある 人生においてもうこれでいいなんてことはない

涙を流すのはもうよそう

この2ケ月間よく泣いた 涙が流れて仕方がなかった

苦しかった 悲しかった 心配であった 寂しかった 辛かった

でも もういい全てが解決した。

人生の苦しみが分かった 人の痛みが分かった

これからは自分を主張し過ぎるのはやめよう 人の批判もやめよう

自分を見つめなおす 時間がいただけたことに感謝

午後7時30分から 看護婦さんと長話をしてしまった 毎日変わる看護婦さん

の中でも気が合う 合わない人がいます。

11時に眠る

2008年10月14日 (火)

隔離病棟での想い

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5月29日 4時30分に起きる 晴 検便
顔を洗い髭を剃る それから髪を梳かして一日の始まりです。

5時30分に猛烈に眠気が襲ってきました。
昨日から睡眠薬を代えたからかもしれません。

7時に看護婦さんに起こされました。 午前中はテレビ 今までのことをメモに書きました。 
昼食は珍しく エビフライの大きいのが2匹入っていました。

先生からクロマイを半分に減らしてもよいと言われました。

初めて病棟の外に出てもよいと言われ 外といっても病棟内の敷地内ですが 外でクラブを振ってみました。
体力がないからすぐに疲れてしまったんです。

2時30分に 昼寝なんてあまりしたことがないのに 睡眠薬のせいかもしれなません。

3時40分に目が覚める お湯を沸かしてコーヒーを飲む こういう時に会話ができないのは寂しいですね。

看護婦さんが毎日代わるのも あまり良いものではありません。 
伝染病患者だと思えば警戒するのはいたしかねないことです。

看護婦さんの仕事は午後5時から翌朝8時までですが 検温と脈拍そして食事の量と便の回数を聞くだけ 
あとは私の見張りみたいなもの・・・

6時15分夕食 茶碗蒸しは冷たい 温かいご飯に 温かい汁 熱いぐらいの料理が食べたい・・・

今夜の看護婦さんは話をよく聞いてくれました。 6時半から9時まで二人の看護婦さんが交代で話 退屈しなくてすみました。

9時から刑事というドラマを見て眠る。

5月30日 7時起きる 晴 体温36度
朝食を済ませテレビを見る 今朝は身体の状態がおかしい 眩暈がする クロマイのせいなのか チフス菌のせいなのか 白血球の異常か貧血のような感じがする

10時 回診 体調のことを言いましたら クロマイは止めてもいいとのこと 28日の検査でもチフス菌はシロ 菌はもう出ないだろうということです。

安心して昼まで眠る

12時30分 昼食 この日は食欲がなく 箸もつけずに捨ててしまいました。

1時~3時までぐっすりと眠る

5時 本を読む 赤羽祥道著 自分を磨く  本を読みながら今までの心の使い方に反省させられました。
精神的にはかなり安定してきました。

身体の疲れ感も少なくなり 身体の痺れもなくなり 咳も止まり 仕事に対する意欲も出てきました。 
しかし退院をしてすぐに仕事は無理だろう 1ケ月ぐらいはかかると思っていました。

いろいろ考えているうちに 急に親父の事が浮かんできました。 
1昨年の暮れから大腸癌を患い ずっと家の2階で寝たきりです。
長い間で会っていないが だいぶ進行しているかもしれない

今の親父は欲もなく 食べるだけの欲だけです。 元気な時に何処かに連れて行ってやればよかったのに 親父と旅行なんてあまり記憶にありません。

母にも随分と苦労をかけてきました。 母の苦労は私の何十倍も苦労だったと思います。 兄が2歳の時に夫が亡くなり 2歳の子供を抱え仕事のできない母は姑に仕えて 気を遣い いつも遠慮をして生きてきた 兄も気の毒だった 幼いときに父親を失い 私の親父には遠慮をしていました。

私の方が積極性もあり 行動力もありましたから 義姉も兄が私に負けないようにと 張り合う気持ちが強かった 私達夫婦と表立った言い争いはありませんでしたが 心の中での葛藤は強かったと思います。
そろそろ私が去らなくてはいけないなと思いました。

2008年10月13日 (月)

隔離病棟での生活

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5月27日 5時起きる 曇りのち晴 体温35.8度
お湯で身体を拭いて 洗濯をしました。

昨日から 体力をつけていかなければと思い 本を10冊ずつナイロン袋に入れて
それを右手と左手に持って持ち上げる 10回も上げ下げすると上がらなくなって
しまいます。

力が衰えているのが分かります。

手が震えるのには困りました。 メモを執っても字になりません。
8時40分採血 10時に家内が面会に来ました。
差し入れは石鹸2個

11時30分 先生の回診 チフス菌は23日の検査では見つからなかったと報告
今日から風呂に入ってもよいと言われました。

午後3時に 私の母と兄が面会に来る 町中の噂になっていると言う 
伝染病なんてあまりいい噂ではないだろうと思います。

家族の者は毎日接していて心から心配してくれているのに 
それでいて感染なんてしてませんが 他の人達は接していないのに 
自分への感染を恐れている 人間なんてそんなものかもしれません。

私は一度退院をした時に 全快祝いの品を注文して その注文した商品は
水羊羹 60人分を買ってしまいました。

今度退院した時には 食べ物は嫌な思いをするだろうから 
違うものに代えないといけないなと思ったのです。 
返品はきかないし チョット早すぎたなと思いました。

こういうのが無駄である 慌て者はこういうときに出てしまいます。
前の病院にいるときには 看護婦さんはマスクも手袋もしないで 
採血 点滴をしていたのに この病棟に来たら 大きなマスク 手袋 
それに恐る恐る脈拍を計っているのです

体温は平熱になり 久し振りに風呂に入りました。 
病院の風呂というとあまり気持ちのいいものではありませんが 
ここの風呂は前の病院と違って 自分だけですから 髪と体を洗いさっぱりとしました。

昼間から風呂に入り 仕事もしないで これで酒でもあれば 小原庄助さんだ・・・

5月28日 4時30分に起きる 体温36.8度 検便
外はまだ薄暗い 昨晩は睡眠薬も下剤も飲まずに寝ましたが 
やはり眠れませんでした。

時計ばかり何度も見ました。

眠れなかったけど起きてみると 手の震えがない 今までは字を書いていると 
字になりませんでした。 

これはチフス菌のせいなのか 薬のせいか 高熱が続いたためなのか
 高熱の時には全身がガタガタ振るえ 仕事はもうできないと思っていました。

私は退院をしたら新しいスタートを決断しなくてはならない
これからの10年が大切です。 

理容の仕事でみんなは修行が終れば独立している みんなから何故で独立
しないのだと言われていました。 

私は兄の店が自分の店のように頑張ってきましたから それほど気にはして
いませんでしたが ところが入院して 兄から言われ ここは考えを変えなくては
なりません・・・

午後2時30分 病棟責任者の渡辺さんから心霊の事を話され 渡辺さんの
入信している宗教の教祖さんは先見力が凄いとのこと 霊能力者の先を見る力とは
 それを予知しているのか 教祖に言われてそのように暗示が効いて 
そのように動いていくのかは分かりません。

宗教は悪いとは思いませんが 自然の法則を無視した宗教は危ない宗教だと思います。

宗教の教えに従って救われるのはいいことです。 それよりも宇宙の自然の仕組み 
身体の仕組み 心の法則を知っていれば宗教に囚われることがなくても 
解決できる事ばかりです。

盲信は駄目です。

午後6時10分に家内が面会に来ました。 
今日○○布団店で布団の大サービスをやっていて値打ちのものがあるが
どうしたらいいかと聞くのですから 私は入院生活で布団の重要さが分かりましたので
 そんなに値打ちのあるものなら買っても良いといいました。
(確か60万円が30万円だったようです。 これって半額でも高額ですよね)

2008年10月12日 (日)

隔離病棟

5月24日 五時に起きる 晴 (体温37度)
起きるとすぐに洗濯物をクレゾールに漬ける 2時間漬けておいて2時間後に
洗濯機にて洗うのです。

洗濯が終ったのが7時半 朝食 昨夜飲んだ下剤が効いたのか今朝は快便
 長い間ぐっすりと眠れたことがありません。 睡眠薬ばかり飲んでいましたから
効きが悪くなったのでしょうか。

日中は本を読んだり 日記を書いたりして時間を潰していました。
 私が隔離病棟に入って 今頃は前の病院に見舞いに来てくれた人たちが 
感染していないか心配をしているのではないでしょうか。

今年岐阜県で初めて 全国で17人 確率的にも少ないし チフス菌が感染する
ような所 食べ物なども身に覚えありません。

腸チフス菌なんてどこで拾ってしまったのか見当もつきません。 感染した人も
いないなんて不思議なことです。

変な話ですが 隔離病棟に入ってからは体調は悪くないですから
隔離されている自分が不思議に思えます。

午後家内と三女が面会 差し入れは花梨 ジュース

夜当番の看護婦さんと話をする 今年就職したばかりだとか きれいなで
可愛い子でした。

9時から テレビで波の塔という松本清張の作品を見て寝ました。



5月26日 5時に起きる 晴 体温36.1度
湯沸かし器で湯を沸かして タオルで身体を拭く 今日の日直当番は男性の看護士
いかにも女性的で優しい

看護学校の話をする 看護学校は夜間で働きながら学校に通ったとか 
4年間学ばないといけないそうです。

三女も看護学校が希望 今高校3年生だからすぐのことだなと思いました 。 

長女も看護婦 三女も看護婦となると病んだ時には心強いが病院とはあまり縁が
ないほうがいい 自分が入院してみて看護婦の仕事の大変さがよく分かります。

身体の調子が良くなってくると 兄から言われた自分で店を出したらどうかという
話が気になってきました。 
兄の長男が名古屋の理容店に修行に行っていますから やがて帰ってきたときには
一緒にはやれないから 真剣に考えなくてはいけません。

この日は12時から2時間の停電 午後1時に家内が面会に来る 
毎日陶から多治見まで大変なことだと思う。

三女は名古屋の看護学校が希望みたいだが 多治見ぐらいにして欲しい 
上の二人が浜松に行ってしまい 一人ぐらい家に残って欲しいと思う・・・・

体力がだいぶ衰えていると感じる 運動をしていないから足が衰えている 
病院の布団は重い 布団がこんなに気になったのも長い間の布団の生活
だからだと思うのですが 人生の3分の1は布団の中 布団にもう少し
お金をかけてもよいのではないだろうか。

今の若い子は結婚する時に羽毛布団を買っている いい布団を買おうと思いました。

夜テレビの番組でアインシュタインロマン 相対性理論を考えるという番組を見ました。
 私は5月10日のことを思い出しました。

無意識の世界で私が心で叫んだ言葉 あれは院長に合わせて欲しい 
今のままでいると世間が騒ぐ マスコミの餌食になる 何とかしなくてはいけないと
何度も叫んでいたのです。 その時にはなんのことか分かりませんでしたが 
こうして隔離されて あの時予知していたと思えてきました。

誰にも感染しなかったから私だけの問題で済みましたが 感染していたら
大きな問題です。 

こんなこともありました。 それは食事をしているときにスプーンに落雷が落ちたような
衝撃が走り 光 磁力線 電磁波が空一面に見えたり このときの力があれば
スプーンは曲がると思ったのです。

また耳にはスズメ蜂の大群が 耳の中を通り抜けた感じがして 
耳鼻科で見てもらったこともありました。

こういう自然界の力が テレビ パソコン 電話 携帯電話 ファックスなどの
原理だと思ったのです。

あれから半月が過ぎましたが 夢にしては記憶に残り過ぎる 超能力の人がいたって
Image13 不思議ではありません。

2008年10月11日 (土)

衝撃的な報告

Image2

5月20日 先生から話があると言われましたので ナースセンターに行きました。 
私は退院の知らせだと思い喜んで出かけていきました。 先生の顔は何故か困惑の表情 言葉がすぐに出てきません。 おかしいなと思っていますと 先生は言いにくそうに 加藤さん実は5月2日に採血した血液の中からチフス菌が見つかったと言われるのです。

私はその時 何故 どうしてと物凄いショックを受けました。
チフス菌は今までの治療法では効かないから これから隔離病棟に転院していただかなくてはならないと言われるのです。

一体今までの苦しみ 時間の無駄 2ケ月近いロス 入院の費用 収入の減収など いろいろなことを思うと怒りの気持ちになりました。 
しかし先生 看護婦さんたちの一生懸命の対応に怒ることはできません。
ここは許しの気持ちでいなければいけないと思いました。

しかしチフス菌なんて 何処で拾っただろうか 誰も伝染した人はいない 私が無意識の時に 心の叫びで 早く院長を呼んできて欲しい 今に病院はマスコミで大変になると叫んでいたのはこのことなのかと改めて思い出しました。

そう言えば 息を吐きなさいと言った看護婦さんに前の日 有難うございましたとお礼に行って その後果物ナイフを取られたことがある 何もしてないのにお礼はおかしいことですよね。

退院と思っていたのが あらためて隔離病棟に1ケ月近く入院になるとは 私は兄の店に勤めていましたから 兄の方も痺れを切らして そろそろ自分で店を出してくれないかと言い出しました。 
この言葉にもショックを受けましたが 今は流れに従うしかありません。

後になって考えてみますと最大の危機が最大のチャンスになるとは この時には神のみぞ知る・・・

ショックで眠れない一夜を明かし 5月21日の午後1時に病院の前に 隔離病棟の迎えの車が玄関に止まりました。
私は先生 婦長さんに御礼の言葉を述べ車に乗りました。

運転手はマスクをかけ防菌服を着て あまり会話もなく なんか重大事件を起こした犯罪者のような気持ちになりました。30分で多治見県立病院に到着 病院の一番奥の土岐川の堤防の下 病室から川の水は見えません。

建物は昔の分校みたいで窓は鉄格子 入り口も格子戸で出入りができません。 部屋は長い間使われていない為か埃で汚れ 廊下 部屋はクレゾ-ルでふき取られ 入った瞬間物凄い臭い 病棟責任者は渡辺さん エツと思った これって無意識の時にヘルパーさんが自己紹介をした人の苗字 ナン なんだろうこの偶然はと驚きました。

部屋に荷物を置いて 病棟内の案内 説明がありました。 それから採血 検温 検便 体温37.8度やや高い 一旦下がった熱も上がってきました。

部屋の窓から見えるのは 堤防と愛岐道路と山だけ これでは刑務所と同じ 違うのは一人だけの入院 夜はさぞかし寂しいなと思いました。

トイレにはクレゾール 電話機の横にもクレゾール 臭いのなんの先が思いやらせます。

部屋にはエアコンが付いています。 
この病棟では初めて使うそうです。 
テレビは無料 消灯時間はあってもないようなもの 電話は実家だけしかかけないようにとのこと・・
・ 
病棟責任者の渡辺さんは午前8時~午後5時まで 午後5時から二人の看護婦さんが翌朝8時まで これって監視人 私の気持ちはなすがまま 開き直り 
吉田松陰 宮本武蔵の心境(例えが大物過ぎますが)・・・・ 

2008年10月10日 (金)

心の法則

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病気の原因となる心の働きとは 憎しみの心 負けず嫌い やせ我慢 心配 不安 人を許せない 恐怖心などが蓄積されると 心の中にストレスとなって 人間の持っているバランスが崩れ 病気 事件 事故に繋がるのです。

全ての病気 事故 事件が心の作用だけで原因と結果に繋がるということは分かりませんが、因縁というものは存在しているでしょう。

それではどういう心がけでいればいいかと言えば 自然の法則に逆らわない心の働きをしていくことです。

自然の法則とか 宇宙をコントロールしているもの 又は人間の機能をコントロールしているものなどを称して 神と呼んでいます。

神の心とは 全てがうまくいくように支配している法則のことです。 自然の働きに逆らって 人間が自然界の物を破壊していくと 水害 土砂崩れなどの原因になります。

人間の心の働きの中にも法則があります。 それは幸せで健康で豊かな心 豊かな生活をしていくのには 心の法則を知って それに合わせた生活をしていくのです。 最近の空気汚染 地球温暖化などは 人間が凄まじい発展のための 公害 汚染 森林伐採などが 台風 洪水 海水温度の上昇 異常気象など悪影響を及ぼしています。

心だけの問題でなく 人間の知恵を働かせて将来のために 環境問題を考えていかなくてはならない重大課題です。

人間の一生を左右させるのは 毎日の想いの積み重ねが 心の法則に合う思考か 合わない思考かで分かれ道になります。

それでは心の法則に合う思考とは何なんでしょうか?

合わない思考とは プラス思考に反して病気 貧困などの原因になる思い込みは 才能がない とても買えない 何をやっても駄目だ とてもできない 怒り 許せない 悲観 こういう想いは結果をどんどん悪くします。

その逆のプラス思考というものは 人を許す 人を思いやる いたわりの心 優しい気持ち いつくしむ心 愛する気持ち 感謝の気持ち 報恩の心 こういう心の働きは身体の機能に対して非常にいい働きをします。

豊かになるのには 常に自分は豊かである お金はたえず循環している やりたいことと 買いたい物 行きたいところは行くことができる 自分は必ず良くなる 仕事も上手くいく こういう前向きの気持ちが いい方向に向かわせてくれるのです。

人を救う才能 私は若い時から人間の生き方についての 指針となる法則みたいなものを捜し求めていました。 生き方の基本とか法則 道標などを モラロジーという最高道徳科学を学び 重く受けとめたのは 因果律は心の中にある原因が結果として現れるということ 先祖 伝統などを大事にしなさい 義務の先行 報恩のこころ 普通道徳と最高道徳の違いなどを学びました。

その後は 成功の哲学(マーフィーの眠りながら成功する ナポレオンヒルの書物 思考は現実化する)などの影響を受けていました。 

言葉の力 想念の働き 潜在意識 催眠術などに興味がありました。

私の場合は臨死には当らないかもしれませんが それに近い脳の動きがありました。
5歳ぐらいから 48歳までの出来事が走馬灯のように頭の中から浮かんできたのです。

小学校の時のソフトボール 選手リレー 遠足 勉強 お婆さんの在所に遊びに行ったこと 般若心経を祖母から教えられたこと 中学では野球 キャンプ 修学旅行 新聞配達・・・

とくに印象に残っているのは5歳のとき6年生の兄について学校に行き 教室で一緒に机を並べて先生の話を聞いていたことと 中学生の時は犬を連れて学校に行き 授業中に犬が教室に入ってきて みんなから爆笑されたこと・・・

理容学校受験に行ったら 願書が出ていないというお粗末 結局1年後に受験 級長なって頑張ったこと 理容の技術の習得に講習会 師範講習 一級免許 一流店に就職 店長になるも事情があって退店

青年団にて家内と知り合い 消防団 とくに47年集中豪雨で流されたこと 道徳科学の勉強 喫茶店の手伝い 結婚 子育て 三女の大腿骨骨折 新築 家内の耳下腺腫瘍で3ケ月入院(愛知癌センター)

カツラ技術の習得 日整会の役員で奮闘 全国カツラ競技大会で特別賞を受賞
カツラの販売に熱意を持って取り組む

書いていけば際限なく続く メモには細かく書き綴ってあります。

この頃には平熱になっていて 5月16日 婦長さんからナイフが戻されました。 
風呂に入ることもでき 外出もできるようになりました。

図書館が病院の隣にありましたから 5月17日には7冊を借りてきました。

借りてきた本は

時間を最高に活かす方法 
願望を叶える宇宙パワーの発見
四次元の世界・ 
真言密教入門 
コンピュータ物理の世界・ 
こころのコントロール 
分かりやすい科学 

この頃は脳の回転が高速になっていましたので 難しい本が1時間もかからない時間で読めてしまうのです。

5月19日体調はだいぶ良くなっていましたから退院は近いなと思っていました。
ところが翌日 担当の先生から驚愕の報告があったのです。

2008年10月 9日 (木)

お告げ

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娘との出会うことができ 高熱の苦しみからの解放されて これで治ってきたと思っていました。 

平常に戻って 不思議な経験をして このことは書き残しておこうと思い この日から今までことを記録に残そうと思ったのです。

家内には私は死か 精神病院行きかと思っていたみたいです。 看護婦さんや周りの人たちは 私がおかしくなってしまったと思っていたでしょう。

私も思い出すと どこまでが現実で何処からが異常な世界なのかは分かりません。 
しかし今なら思い出すことができます。

意識が薄れてきた時に スーと現実から消えてしまって夢の世界のような光景 山 海 草原 人工衛星から見た景色のような 時間も空間も重量もありません。

幽体離脱 身体が素粒子になったみたいに隙間からでも抜け出せる これが臨死状態なのだろうか・・・・

目から見るだけでなく 私が生まれてから今までの記憶が 一瞬のうちに蘇ってきたのです。 

見えないものが見えたり 聞こえない音がッ数十倍になって聞こえたり これから起こる事を予知したり これが予知能力四次元というものなのか 私はこういうのに興味があったから それほどの驚きはありませんでした。

いつもは見えない光 磁力線が見えたり 頭の中は凄く敏感でした。 細かい事も苦になるようになりました。

看護婦さんの応対 言葉使いなど 一挙手一投足が気になるのです。

言葉や態度は薬にもなるし 怒りにもなる たった一言が命を救うか 殺すかの分かれ道になる場合もあります。

お告げ 無意識の世界にいるときに こんなことを言われました。
(貴方は何をしているのですか 貴方の心の中には 素晴らしい才能が眠っていますよ 貴方はそれが分かったはずだ 今日から考え方を変えなさい 悪い習慣に浸かっていてはいけない 他人の忠告 他人の言葉で否定的なものは消しなさい お節介 批判は前向きなものは素直に受け マイナスのものは聞く耳を持たなくてもいいのです。 

ものの考え方を もっと大きく 広く 高く持ちなさい。 自分でこれだけのことしかできないと決め付けてはいけません。

いくらでも豊かで健康で幸せになれます。 貴方の欲しいもののレベルアップをしなさい 仕事に対してもっとやることがあるはずです。 

もっと勉強をしなさい 人間についてもっと深く追求をしていきなさい。 それを自分のものにして 今度は人の悩みや苦しみを救ってあげるのです。 

貴方はこの宇宙に いろいろな波長や 音 光があることが分かりましたね。)

無意識の時 ヘルパーさんから中指と中指を付けると別の世界に入ると言われ 言われたように指を付けると 浮かんできたのがコンピュータの世界 警視庁や消防庁などにある地域の異常が出ると点灯するシステムみたいなもの そのときに娘の居場所を設定しましたら 光が点滅しながら移動をして 京都あたりの居酒屋で 娘が声をかけてきた(実際は浜松)

私がパソコンに集中できることは この不思議な世界を体験したから その影響が大きいかも知れないと思っています。

2008年10月 8日 (水)

娘との出会い

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とにかく異常な精神状態だったと思います。 
ベットの下に誰かがいると感じたり トイレに行った時 壁の向こうに男と女の姿が見える 何かしているかもしれないから 家内に見てきて欲しいと言いました。 
家内が見に行きますと看護婦さんと患者さんがいたそうです。

私の能力は随分と過敏になっていて 不思議に思えることがいろいろありました。 
私は本当に超能力が備わっているのではないかと思えたのです。

不思議な現象は 意識が戻ったあとも影響を与えました。
声が出なくなり 話をしたいのに口から声が出なくて アーとかウーと出るだけで言葉になりませんでした。
言葉が出ないのが5日間続いたのです。

二人部屋でしたので 相手の患者さんは さぞかし私の言動 行動が異常な状態にびっくりされたと思います。

その患者さんの奥さんは 私が咳が酷いため スギナの煎じたもの かりんなどの差し入れをして頂いて 本当に親切にしてくださいましたが 私の異常な状態を見て その日から別の部屋に出て行かれました。

私は一人になり お陰で精神的にだいぶ落ち着くことができました。

11日に長女H子が付き添いでついてくれました。 H子は浜松で看護婦をしていました。 

5月12日に突然K君の両親が病室に現れ 私はびっくりしました。 
彼の両親は 私の体力 気力の衰えにさぞかし驚かれたことでしょう。
私はこのときには体重が10キロ落ちて 言葉も出ない状態でありましたから そんな状態を見て L子を探してみると言って帰られました。

彼の両親は最初から 二人の居場所を知っていたんだなと感じたのです。

5月13日 彼の両親が訪れて次の日午後 L子とK君が病室に現れたのです。 
私は娘の姿を見たときには 胸が熱くなりました。 しかし声が出ません。 話そうと思っても 口の中でモゴモゴと呟くだけ 話はできませんでしたが 私は娘の手を握りこれで良かったと涙が次から次へと流れてくるのです。

二人は本当に申し訳ないと謝りました。 悪いと思いつつ6ケ月間苦しんだと言いました。 
二人にとってはこんな方法しかとれなかったんです。 

お互いが苦しみました。 順調にいっている人には この気持ちは分からないのではないでしょうか。
世間体 常識に拘る人は この苦しみは理解できないし むしろ批判の対象になってしまいます。

確かに躾 教育などで至らなかったところはあります。 
しかし筋書き通りにいかないこともあるのです。 そこには見栄とか体裁はありません。

二人の姿を見ていると どんなに苦しくても二人で力をあわせていこうという真剣さが伝わってくるのです。

二人で働いてお金を貯めて 親には一切負担をかけたくないという気持ちが伝わりました。

彼の両親も一緒でしたので 二人のことはもう何も言わないから早い機会に結婚式を挙げてやろうと約束しました。

これで私の心の中で 苦しみ続いていたことは解決 病気も完全に治ったと思ったのです。

私の心は安堵感と安らぎの気持ちになりました。 彼の両親も悪いと思いつつも 二人のために隠していたのです。

私はもう誰も責めることはできません。 今言えることはお世話になったことに対して申し訳ないという気持ちだけです。

時が全てを解決してくれたと思っていました。 
死の恐怖 生死の境でもがき苦しみ いろいろと反省をして 不思議な現象を数々体験いたしました。

40度を越える高熱が続き 体力 気力が衰弱して 今までの張り詰めてきた気持ちが もうこれで駄目になると感じたときから 心のバランスが崩れ 異常な言動 行動になったのではないでしょうか。

正常な人間は 頭の中で言動 行動をおかしくならないようにバランス感覚が働いています。 
それが何かの原因でバランス機能が狂い始めると 普通では考えられないような言葉 行動になって現れてくるのではないでしょうか。

2008年10月 7日 (火)

聴覚 視覚は異常でした

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私が眠っていると思って 同室の患者さんと 付き添いの人の内緒話が大きな声で聞こえてきます。 

私が死ぬかもしれないということで 病院に駆けつけてくれた 母と弟の声が聞こえてきます。 
後で聞きましたら 病院の外の駐車場で話をしていたと言うのです。
私は4階の病室で眠っておりましたので 普通なら聞こえません。

私の聴覚 視覚は異常でした。

空気中の普通では見えない光 電波 電磁波 マイクロ波などが 物凄い速さで空中を走っているのが見えたり キーンという音が耳の中を突き抜けていくのです。

こんなこともありました これは夢のようななかで 病院のヘルパーさんが 私の頭の中に浮かんで こんなことを言うのです。

(貴方は素晴らしい能力を持っている それは超能力であり 人を救ってあげることができる能力だ)と言うのです。

ヘルパーさんは言いました(私は東南アジアのある国から派遣された超能力者です。 今のヘルパーの仕事は仮の姿で 本当はこの地域の人たちの心の病を救うことを目的にきた担当者です。 一度私の家に来てください)

私は彼女の家に行きました。 周りは人気のない小高い所にシャレタ家が建っています。 中に入ってみますと広い 広間があって そこにはソファーが置いてあり そこに座りますと 目の前に大きなテレビがあって 美しくて静かな自然の景色が映し出されています。

耳からは小鳥の囀り 小川のせせらぎ そのうちに段々と明かりが薄暗くなってきて 私の気持ちがくつろいできました。

私が静かな気持ちになっておりますと 私を案内してくれた女の人が こんなことを言うのです。 
(私は○○と言います 私は私の後継者を探しております。 加藤さん貴方は 今まで私が見てきた人の中では 最も後継者に適した人です。 私はもうこれで安心です。 

これからは加藤さんに連絡する時は ピピィという音が貴方の頭の中で聞こえます。 それを感じたら親指の先を身体のどこかにつけてください。 そうすれば私の声が聞こえます。 

又貴方の方から連絡したいときには 中指と中指の先をつけてください。 そうすれば私が出ます。)

この言葉は今でもはっきりと覚えています。

人の心の病を救う これが私の使命であると言うのです。

私は病院で監視されているという気持ちが強くなり 神経はピリピリしていました。 
天井に取り付けられているインターホンの呼び出しの隙間や 通気孔にマイクロスコープが取り付けられていて 監視している姿が見えるのです。

2008年10月 6日 (月)

不思議な体験

そういえば 私の意識が遠のく前に 昼食の時に 体が震えて箸が使えず スプーンに代えて食べようとしたときに 突然稲光のような衝撃がスプーンに襲ってきた 空を見上げると 空一面に縦横 無尽に光が走るのです。 なんとなく これが磁力線かと思ったのです。

入院をして 高熱に苦しんでいる時に これは意識がなくなる前のことですが、 病院のヘルパーさんから こんなことを言われました。 加藤さん先祖の供養をしていますか 何かが獲りついていることもありますよと・・・・私もその頃は 高熱は娘のことが原因かも知れないと思うようになっていました。

5月7日にこの話を聞いて 家内が翌日 お墓参りと飯高の観音様に願掛けに行ってくれました。 そして御礼と天棒を頂いてきました。

その日から家内は毎日 神棚に水を変えて 何とか私を助けてくださいと祈ってくれていたようです。

私の母も一心に 仏壇に手を合わせ 私のために祈ってくれました。

そうしたみんなの気持ちが通じたのか 私が眠りに入っているとき もしくは意識のないときに 目の前にL子の姿が浮かび上がり 遠くの街で それも居酒屋みたいなところで (お父さん元気にやっています。 あの時は二人の仲を引き離されると思い 無断で家を飛び出しました。 申し訳ありませんでした)と言うではありませんか

私も(L子の気持ちはよく分かった お父さんが悪かった L子の年齢に戻って考えてやらなくてはいけなかった K君のことは認めるから)と言いました。

そうしましたら L子が近いうちに必ず電話をすると言って消えてしまいました。

Image6
私の気持ちの中で L子と話ができた 姿が見えたということで 必ず連絡が入ると確信の気持ちになりました。

私は高熱の為 意識が朦朧として 現実の世界と四次元の世界との区別がつかないときに 時間的に言えばほんの僅かな時間であったと思います。

私は不思議な世界から 意識をとりもどす僅かな時間に こんなことを 呟いていました 誰か院長を呼んできて欲しい そうしないと今に病院が大変なことになる マスコミは騒ぐし 今のうちに何とかしなければ そんな言葉を繰り返していました。

この意味が何のことか分かりませんでした。

どのくらいの時間が過ぎたでしょうか 誰かが大きな声で呼ぶのです。 加藤さん息を吐きなさいと言っているのです。

身体の周りからガッチャガチャという金属音が聞こえてきました。 私はまったく別の世界を見ておりましたが 声や音とともに意識の世界に戻ってきたのです。

目を開けて見ると 看護婦さんの顔が見えて なんか袋のようなものを 口にかぶせ 息を吐きなさいと言っているのです。 私は力の無い呼吸でなかなか息を吐くことができません。 それでも気力を振り絞って息を吐きました。

そうしましたら目の前に現実の姿が見えてきたのです。

頭の中は混乱しています。 意識が戻ると睡眠薬を飲まされたように眠くなってきました。 身体は眠っているのに 人の声 音などはっきりと耳から聞こえてきます。

2008年10月 5日 (日)

娘への思い

騙されているのではないかと思い始めると いてもたってもいられない精神状態に
なりました。 まずは美容店にお詫びの挨拶に行かなくてはいけません。 

挨拶に行って 帰りに浜松市役所に行って 詳しい事情を説明して転出届を調べました。

転出届は出ていました。 今度は転出先の郵便局に行き 転出先の住所を聞き 
辿り着くことはできましたが そこにはいませんでした。

そこは彼氏のお婆さんの家でした。

彼と娘は彼の親とおばあさんには公認の間柄・・・何故隠さなければいけないのか 
それは こちらの親に反対され 連れ戻されることを恐れていたのでしょう。

その彼というのは現在の婿です。

娘の年齢は18歳 仕事も定職していない 彼の両親にお世話になっているということですが なんの仕事なのか定かでありません。

腹立たしさと 虚しさ やりきれない気持ち 入院する前の年の10月21日に
長女の結婚式です。 それまでにはと思い 転出先の住所から 両親が名古屋に
住んでいるのを探し出だし 結婚式には参加することができたのです。

長女の結婚式は蒲郡で行いました。

L子に出会うことができ ホットしたのも つかの間 結婚式が終り 家に連れて
帰りました。

 L子に対して結婚に反対ではないが L子の仕事 彼も定職がないため 
結婚をすぐにというのは駄目だと反対したのです。 

ここは それぞれが離れて 仕事を探しそれである程度目処が立ってからの方が
いいと言いました。

ところが11月5日 朝起きてみると L子がいません。

こんな書置きを置いて 家を出て行きました。

(私は今日一日中考えてみたけど 何回考えても考えは変わらない。 
それでも私の考えを分かってくれないなら それでもいい 私は家庭より 
友達よりもK君を選ぶ 
そういう私が許せないならば 許さなくていい 私を娘だと思わなくてもいい
 私を勘当すればいい 
そのほうが私は幸せだ お父さんとお母さんの気持ちが 今と変わらずに 
私とK君を引き離そうとするのならば 
私を何度家に連れ帰そうとしても 私は帰らない 我がままだといわれても私は
そう思っている)

                   L子

この書置きをおいて 夜中のうちに家を出て行きました。

私の人生だから 私の思うように生きていきたい 

その日から苦しみが始まりました。 子供を育てることの難しさを痛切に感じました。

K君の親に連絡をしたら 何処に行ったかは分からないという返事 行き先は
分からないと言うのです。 
荷物もお金も持っていませんので どうしているのだろうか 悪い世界に入って
しまわないかと不安と心配の毎日でした。

こんな話は友人 知人には話しても不快を与えるだけだと思い 他人に
言えませんでした。

他人から批判されるのが恐かったからです。

まさか自分の娘がこんな浅はかだとは思いませんでした。

2008年10月 4日 (土)

最悪な精神状態

Image14

精神状態は最悪で 正常な判断力はなくなり 妄想的な言葉 

正常な人からみれば 精神異常者になっていたと思います。

ベットの脇にあった 果物ナイフも取り上げられてしまっていました。

相手にされない自分に 悲しさがこみ上げてきて 私はベットの上で 

辛さのあまり涙が次から次へと流れ落ち もうこれで自分は駄目になると

思いはじめると 目の前が段々と暗くなり 天井は下がってくる 

壁は狭まってくる 病院内の音という音が何十倍の音となり 製材所や脱穀機の

ような騒音が耳から聞こえました。

病院内の患者 付き添いが廊下にみんな出てきて ワイワイ ガヤガヤと死者の

行列のように浮かんできました。 そして私めがけて迫ってくるのです。

換気口に マイクロスコープが取り付けられていて 鋭く光線が 目に飛び込んできました。

マイクロスコープの画像が 医務局で先生や インタン生が 監視ている姿が 

脳裏に浮かんでくるのです。

頭の中は光と騒音が集中的に入ってきて 完全に幻覚の世界に入っていました。

呼吸は乱れ 物凄い苦しみが襲い 足元にある穴に 自分の体が引き込まれて

いくのです。

私はこのままだと死んでしまうと思い 必死に踏ん張っておりました。

そのうちに すーと吸い込まれると 今までの騒音 光 雑念が消えて 

人工衛星から地球を見るような 山 海など広大な風景が目に飛び込んできて 

気持ちがすーと楽になり 静かな時間が訪れました。

脳裏に浮かんできたのは コンピュータのように 過去 それも産まれてから 

現在までの 自分の人生そのものが 瞬時に蘇ってきたのです。

いろいろな過去の出来事が浮かんできましたが 途中で 誰かが 

今 貴方が苦しんでいるのは 高熱だけではありませんよ 

心の問題の方が大きいですよと 囁くのです。

貴方は次女のL子のことが心配で心配で 心の中はストレスでいっぱいなのだと

言われました。

この問題が解決すれば 貴男の病は治ると言うのです。

L子は平成12年3月23日に 高校を卒業して 姉のいる浜松の美容院に

就職をしました。

浜松には姉のH子がいるため 安心の気持ちでいました。
ところが8月30日 美容店のマスターから L子が寮からいなくなったと

連絡がありました。

何処に行ったか困っておりますと 一週間後に手紙が届きました。

(突然ですが 手紙を送ったのは どうしても口では言うことができなかったからです。

私が言いたいのは 仕事の事です。 美容師という仕事を選んでみたものの 

働いてみて分かったことは 美容という仕事が私には合わないと感じたからです。

もっと最初から私自身がよく考えて 職業を選べばよかったと思う あの頃は

早く社会人になりたくて 親の言うとおりに決めてしまった・・・

今になってやっと分かってきた 美容師だけを見ていれば このまま続けて

いけたかもしれない しかし社会人になって いろいろな仕事が見えてきました。 

その結果一生やっていけそうな仕事が頭に浮かんできたのです。 

自分の仕事は自分で決めたい こちらで知り合ったおばさんが 

私の夢を叶えさせてくれそうな人です。 

だから頑張ってみようと思う 勝手な事ばかりやってごめんなさい。

 私は普通の人より上になりたい だから自信を持って 親に顔向けできるように

なったら 親に会いに行く 私を遠くで見守って欲しい それでは元気で・・・・)

住所は書いてありません。

おばさんとは 親に連絡もしない人が 信頼できるわけがない 

一体どんな仕事なんだろうか 騙されているのではないか・・・ 

2008年10月 3日 (金)

なぜこんなに高熱が

Image2

私は今までに 病気 怪我で何回かは入院しておりますが 今回の入院は根本的に違います。 
娘L子の家出という事態が 私の気持ちの中で いろいろな思いが 苦しみを一層増したのです。

毎日仕事に追われ 生活のリズムの中では 物事を深く考えるということはなかなかできません。

人は普通の生活をしていれば 日々をなんとなく過ごしてしまっているのではないでしょうか?

3ケ月の入院生活は 私にとっては大きなロスでもありましたが それ以上に かけがえのない収穫もありました。

熱の出方は 一日に二度の高熱が続きました。

その繰り返しが 5月10日まで続いたのです。

熱が上がり そして又下がる 下がり始めるとブルブルと全身が震え始め 湯たんぽを足元に入れないと居られません。
やがて40度を越してくると 今度は全身が熱くなって凍り枕に変えて冷やすのです。

こういう状態が続くと 体力 気力は薄れ 食欲もなくなり 5月10日には 自分が分からなくなり 幻覚 幻聴の状態になっていきました。

40度を越える高熱が13日間続きました。 
夜は眠れませんので睡眠薬を飲んで寝ていました。

5月10日昼食を食べようと箸をもったんですけど 箸が使えない
身体がブルブルと震えてきて スプーンに持ち替えて食べようとしても
食べられない 震えは酷くなり 横になりました。

眠りなのか 夢なのか 突然 家出をしたL子の 行方不明のことが
気になり始めました。 
行方が分からなくなってから 6ケ月が過ぎました。

私はこのまま死んでしまうのではないかという 物凄い恐怖心に襲われたのです。

L子を何がなんでも探さなければという思いが強くなってくると
呼吸が乱れて 胸が苦しくなってきたのです。

私のこの苦しさは 高熱だけではない 心の中にあるのだと思えてきたのです。

たまらなくぐらい苦しくなりましたので 同部屋の患者さんに 婦長さんか 看護婦部長さんを呼んできて欲しいと頼みました。

しかし来てもらえませんでした。

それは二日ぐらい前から 頭がおかしくなって 変な言葉を言い出すようになっていましたから 私がおかしなことを言っていると思ったのでしょう。

2008年10月 2日 (木)

娘のことが

なぜこんなに高熱が続くのでしょうか 高熱になる前に 姪の嫁入りの荷物を豊田のアパートに運んだ・・・その荷物を運び終えた後に Y料理店でお礼の料理を食べさせてくれました。

出てくる料理を箸で口に運びましたが いつものように食べられません。 
お酒も飲みたくない 身体はだるく重い 少し熱があるような気がする これは荷物を運んだ疲れかなと思いながら家に帰りました。

この状態は 今まで経験したことのない 身体の異常を感じたのです。

風邪の症状みたいだし 違うようにも感じる 咳は止まることがないぐらい出続け 身体は重く気だるい 翌日には熱が高く仕事には行くことができません。  

そんな症状でも 私は風邪だと思っていました。 

市販の風邪薬を 一週間飲んでいましたが だんだんと悪くなるばかりです。

自宅での苦しみのなかで 娘のL子の家出のことが気になっていました。 L子が家を飛び出してから 4ケ月音信がありません。

馬鹿な娘だと思いながらも 一日たりとも気にならない日はありませんでした。

高熱が続くと 誰かから責められているような気持ちになりました。 
私は今まで歩いてきた自分が 高慢で 出過ぎ 目立ちがりなどを 批判されているように感じたのです。

この気持ちは 娘に対しても みんなに対しても 申し訳ないという懺悔の気持ちです。

あまりにも高熱の為 精神的には世の中のことは見えず 自分の心の中でさ迷いが 不思議な精神状態になり 心に変化を起こしていきました。 

娘は昨年の3月に高校を卒業すると 浜松の美容院に就職しました。 
姉のH子が浜松の病院に勤務していた為 浜松に就職をしたのです。 

しかし美容の仕事を投げ出し 浜松で出会った彼氏と共に同棲し 新しい仕事を見つけると言って 何処かに行ってしまいました。 
何処に居るのかはまったく分かりません。

音信不通 になってしまいました。 
これは仕事を中途でやめたことと 同棲という 親にとっては許すことができないことでしたので 家出のような形になっていました。

4ケ月の間に 浜松まで車で8回も行って探しましたが見つかりません。 
その間に突然の高熱という事態がおき 高熱の原因が娘の家出なのではないかという思い込みになり 心の中は 高熱で朦朧としながら 探したい一心でした。

二度目の入院で 症状はさらに悪化して 体力は日に日に衰え 体重も10キロ落ち このままでは危ないと感じるようになりました。

あとから考えてみますと 人間は一生のうちに一度は どん底 生死をさ迷うな出来事が起きた方が 平穏に過ぎただけの人生より 学ぶもの 感じるものが違い 成長していくものではないでしょうか。Image

2008年10月 1日 (水)

まさ爺の体験話

Image10_2

今から17年6ケ月前の平成3年3月26日 仕事中に風邪とは違う強烈な悪寒が襲ってきました。
仕事をしていても 立っていられないから すぐに帰宅して床のつきました。 体温計で計ると39.2度 それでも私は風邪かなと思って 風邪薬を飲んで眠ることにしました。

それから一週間自宅にて安静 ところが高熱は 一向に治まらず 3月31日には 40度を越えてしまう 咳も酷く 耐え切れない状態でした。

4月に入り 市内にある病院に行って診断してしただくと 病名は分からないけど 即入院でした。
それからが心と体力との限界までの貴重な体験の始まりでした。  

入院をして レントゲンの検査 血液検査 検尿 CT検査 心電図 エコー等の検査をしても 高熱の原因は分からずに 病名すら分かりませんでした。

原因不明のまま 4月7日まで39度以上の高熱が続き 咳は相変わらず酷く 気管支が壊れてしまわないかと心配になりました。

夜は眠れない状態で 睡眠薬を飲んで寝ていましたが 体力も段々と衰えてきました。

しかし4月8日には熱が下がり 咳は相変わらずに出ていましたが 身体の方はだいぶ楽になりました。

4月15日には二人部屋から 4人部屋に移されました。

その日から風呂に入ることも許可され 外出の許可も出たのです。

4月21日には姪の結婚式があるため 外泊の許可を得て 結婚式に参加しました。 
外泊ができるようになりましたから 退院は近いと思っておりました。

これで私は完全に快方に向かっていると思い 外泊のうちに 全快祝を決めて 久し振りに自宅で眠りました。

4月25日には仕事に出かけて行きました。 
仕事は忙しくて お昼を過ぎると 身体の調子が段々とおかしくなり 体温を測ると 37.2度 このままだと 又高熱になると思い自宅に帰りました。

それからが地獄の始まりでした。

      

4月26日 39.2度 4月27日 39.5度 4月28日 40.1度 その日は日曜日でしたが 病院に事情を説明しますと すぐに来るようにとのこと 体の震えが酷い悪寒で大変でした。

その日から毎日40度を越える高熱 寒気と暑さの繰り返し 飲み薬と点滴二本 夜は眠れない為に睡眠薬を飲んで 辛うじて眠りにつきました。

朝は37度台 昼になると40度 夕方になると37度台 夜中は40度越え 六時間周期で変わる 氷枕と湯たんぽの繰り返し 咳は相変わらず喘息と思えるよな咳の出方

しかし病名が分からない 治療の仕様が無いと言われるのです。 脳は侵されはじめ 幻覚 幻聴の始まり あれから17年半 独立をして テナントで9年6ケ月 新しく瑞浪に店舗つき自宅を新築して7年6ケ月 死の恐怖から立ち上がり 今の自分があるのは この高熱こそ 新しい人生の始まりになったんだと思います。

恐怖の体験は 最高の学びの時間と決断の 運命の分かれ道でした。 

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